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2024/11/22(Fri) 12:36:14
世界というものはいつだって我らに難題を与える。

それゆえに私という観測者が存在し得る。

cogito, ergo sum

――さあ、講義の時間だ。席に着きたまえ

さて、まずは君が世界について考えていると仮定しよう。
最初に考えるのは、この世界とは何かという漠然としたものではいけない。
最初に考えるべくは世界の構造について、だ。

役者がひとり欠けても、この世界になんら支障はない。欠けた分は、余っている誰かが補ってしまうのだ。
太陽は空を巡り、月は満ち欠けを繰り返す。

だが、ひとり欠けただけでも、『今存在している「この世界」』は存在し得ない。
たとえ、何も成さず、大衆に知られることなく土に還る者ひとり欠けても、「今現在のこの世界」とまったく同じものは存在しない。
そう云った、仮定上で生まれる「世界とは異なる世界」は、「平行世界」として親しまれている。
…君も小説は読むだろう?別の世界へ行くという冒険譚はどこにでもある。

この世界は面白いだろう?
過去の理論は私たちに古くも新しい知識を与え、友の声、伴侶の指先からも世界を知ることができる。

それでは、先ほど触れた、この世界の構造のひとつ、「インプロ・エチュード」について説明しよう。
これらはもともとは演劇用語として使われており、「インプロ」と「エチュード」は即興劇のことを意味する。
しかし世界論の中において、「エチュード」は演劇用語としてではなく、音楽用語での「練習曲」という意味に近い。
即興的ではあるが、まったく練習を積まない訳ではない、奇妙なバランスでこの世界は成り立っている、ということだ。
さて、「インプロ・エチュード」という世界論用語は、演劇用語を用いているところから分かる様に、演劇の仕組みと共通点を持っている。
Aという役が欠けてしまっては劇が成り立たない、しかし、その場で仕立て上げた別の役者がAを演じたところで、ほとんどの観客はその代役がもともとAという役を演じる者だと思うだろう。

この仕組みは、演劇などでよくある『代役』に酷似しているのだ。
「世界」をひとつの長い劇に、「この世に存在する、あるいは存在した全てのもの」を役者と定義した上で考えてみると分かりやすいだろう。

例えとして、この世の罪という罪を全て犯した者が存在したとしよう。
他の者たちはその大犯罪者がいなければ良かったのに、と思うだろう。「あれさえ居なかったら世界はもっと平和だっただろうに」と。
しかし、もしその者が罪を犯さない善良な者だったら、もしその者が存在しなかったら、その者のように『全ての罪を犯す大犯罪者』は生まれなかったのだろうか。

否、そんなことはない。劇は役がそろわなければ破綻する。それを防ぐために代役を立てる。
誰かが誰かの代わりとして、世界という舞台のシナリオを補う以上、その犯罪者の代役も存在する。


――その代役は、自分がそうだと告げられるまで、誰も知りえないのだよ。

意味不明第?段でしたー
片/霧/烈/火さんの「世/界/は/構/築/さ/れ/る」をエンドレスしてたらこんなのが…笑
おそまつさまでした!

・cogito, ergo sum:「我思う、故に、我在り」
・「インプロ」:即興劇。「エチュード」よりも自由度が高いものを指す
・「エチュード」:演劇用語では即興劇、音楽用語では練習曲を指す

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2009/05/06(Wed) 20:42:27
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